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敗者の選択

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画像出典:伊達邦成と家臣団「伊達市噴火湾文化研究所」 

戊辰戦争の際、奥羽諸藩の雄藩であった仙台藩は奥羽列藩同盟の盟主に担がれ新政府に対抗しますが、敗北してしまいます。このとき、仙台藩伊達家一門の亘理(わたり)伊達家の当主である伊達邦成(だてくにしげ)の努力によって講和にまでは持ち込めましたが、新政府の容赦ない制裁によって、仙台藩の所領は62万石から28万石へ、亘理伊達家に至っては、2万4千石からわずか58石へと減らされてしまいます。これでは1300人の家臣団を養うことなど到底できません。さらに国替えによって亘理は南部藩領とすること決められました。

邦成やその家臣たちは、武士の身分を捨てて南部藩の農民として生きていくか、故郷を捨ててよそに出て行くか、過酷な選択を強いられることになったのです。武士の誇りを重んじた邦成は、蝦夷地(現在の北海道)に移住し、そこを開拓することで活路を見出そうと決意しました。これはロシアの南下を警戒する明治新政府の蝦夷地移民政策とも合致していました。当時の日本には北海道の寒さに対応できる農業技術や生活技術がなく、多くの犠牲を覚悟しなければならない難事業でしたが、武士の身分を捨てず、朝敵の汚名をそそぐにはそれしかないと移住開拓を決断したのです。 

邦成たちは私財を売り払って開拓資金を調達し、家族そろって移住するという不退転の決意で蝦夷に渡ります。そして、現地のアイヌの人々に礼を尽くて農業を教わって、新しい共同体をつくっていきました。しかしそれもつかの間、明治4年に廃藩置県が行われると誇りをかけて守ろうとした士族の身分も剥奪され、開拓地も返上を命じられます失意と憤りのなか、邦成は北海道を去ろうとまで考えます。しかし同年、新政府は膨大な予算を投入して大規模な北海道開拓を進めることを決定します。開拓使はこれまでの邦成たちの成果を高く評価し、邦成も北海道に残ることを決意しました。

日本各地から多くの藩が入植しましたが、多くの藩が撤退するなか彼らはどのようにして開拓を成功させたのでしょう。まず、西洋から最新の農機具、農業技術を導入して耕作効率を高めました。また当時輸入に頼っていた砂糖の原料となるテンサイを栽培するなど、付加価値の高い作物を生産しました。さらにテンサイ製糖所を作って、より付加価値の高い製品に加工しました。他にも現在の共済組合のような互助組織を作ってお互いに支え合い、共同体を確かなものにしていきました。明治25年、伊達邦成は長年の功績を認められ、民間人としては初めて明治天皇から勲四等瑞宝章を受勲、男爵に叙せられ、名実共に賊軍の汚名をそそぐことになったのです。

既存の体制に付いて時代の変化に対応しなかった奥羽越列藩同盟は敗者になりました。勝てば官軍、負ければ賊軍。薩長新政府の仕打ちもえげつないものですが、協力者には領地なり権益なりの報償を与えなくてはなりませんし、内戦である以上、国内からぶんどるしかありません。敗者は何もしなければそのまま没落することになります。亘理伊達家の武士団はそのようななか、不退転の決意であえて困難な道を選択し、最新の技術を導入しながら工夫を重ね、成功を勝ち取ったのでした。

亘理伊達藩は北海道の開拓に成功しましたが、政治経済の分野で排除された奥羽越諸藩の士族は、軍部に出世の道を求めることになり、それが後の満州国建国につながることになります。

 

  

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