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三毒考

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三毒(出典:フリー百科事典 Wikipedia)

三毒(さんどく)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。

(とん):貪欲(とんよく)ともいう。むさぼり(必要以上に)求める心。

和文では「欲」・「おしい」・「むさぼり」と表現する。

(しん):瞋恚(しんに)ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。

(痴・ち):愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。

仏教の用語に「三毒」という言葉があります。これについて考えてみますと、いかにも判りやすいような、強欲だったり、起こりっぽかったり、無知だったりという場合ばかりではなく、一見欲深とは思えないような場合や、もっともな怒りである場合、知的に見えるような場合にも起こっているように思えます。これにつきまして、僭越ではありますが、私なりの解釈を述べてみます。

「貪」は貪り求める欲望のことだそうです。では欲望とはなんでしょう。「欲求」という場合と「欲望」という場合とでは意味合いが違いますね。欲求と言えば、基本的な食欲、性欲、睡眠欲といった、生物本来の身体に基づく生理的要求のことで、これはある程度満たされれば収まります。欲望と言えば、思うが儘にしたい、我が意の儘にしたいという、人の意識における渇望で、これは留まるところを知らない無限なものです(ちょっと複雑なのが、「欲望化した欲求」もあるところですね)。ここでは「欲求」と区別して「慾」という字を使いましょう。さて、欲求はもちろんですが、実はこの慾望も、そもそも人に元から備わっているものであり、慾望を無くすというのは困難なことです。ですから「貪:慾望」を無くすことを目標とするのではなく、慾望をほどほど制御することができるように鍛錬するのが、修行となります。ですから、この「貪」の反意は「知足」でしょう。練習の方法としては「断食」があります。

次に「瞋」ですが、これは怒りだそうです。では、なぜ怒るのでしょう。多くの場合、思うように行かないとき、我が意の儘に進まぬときに、腹が立つことが多いものです。ですからこの場合、慾望、「貪」が叶わない反応として起こっているのが「瞋」であるということです。「いや、別にそんな勝手なことを求めているわけじゃない。こんなことがあったら怒るのは当たり前だ」という場合も、「これはこうあるべきだろう!」と自分の常識が当たり前のようになされるはずだ、ということが前提になっているものです。ここではその正当性を言っているのではありません。自分が「それが常識だ」「そうあるのが当たり前だ」と思っていて、それが自分の思い描く自分の「当たり前」が実現されるのが然るべきだ、と考えているところです。しかもそれが(どんなに正当なことでも)所詮自分の都合だということに気がついていないのです。正当なことが叶わなければ「理不尽だ!」と怒りますが、これも「我が意の儘」が叶わない時の反応であることに変わりません。怒るのも当たり前ですね。ですから「怒り」もそもそも人に備わった当たり前の感情で、無くすことはできません。「怒」も無くすのではなく、制御できるようになることが大事だということです。怒りの制御の練習には「待つ」ことがいいかもしれません。

さて、「癡」ですが、これは愚かな考えのことで「愚痴をこぼす」ことをいうのではないそうです。そして、「貪欲を生じ瞋恚をおこすことも、そのみなもとをいえば、みな愚痴よりいでたり」という言葉があるように、「貪」が起こるのも「瞋」が起こるのも、この「癡」から生じてくるのだといいます。この愚かな考えというものの一つに、「〜べき」「〜だろう」「〜のはず」という思考があります。つまり、自分の思念の世界が世界そのものだと勘違いしている場合です。その人の思い描く世界とは、まったくお構いなしに世界はあり、世界の事情、世界の法則で動いています。それを自分が知っている範囲の世界観で見ていたり、自分にとってそうあってほしい世界観で見ていて、しかも自分の都合で見ていることに気づかずに「〜であるべき」「〜だろう」「〜なはずだ」と見る考えです。例えば「東電が補償すべきだ」という場合、確かにそれはそうで、真っ当な要求であります。しかし、東電がそれをするでしょうか。東電にそれが可能でしょうか。あるいは、東電にそれをさせることができるでしょうか。そのあたりの現実を吟味することなく、「〜すべき」というのは、主張している内容がどんなに正当であっても、現実を見ているとは言えません。この場合、「〜すべき」と考える自分の意見を実現するために、実際の現実を見て、どのようにアプローチしていくかということが必要になります。主観を相対化し、現実を認識して、その上で現実に取り組んでいくためには、「考える」ということが練習になります。

 

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